後悔前に先立つもの

先日、実家の下水がつまり流れなくなり、建物に下水が溢れてきました。そこで、水道屋さんに修理をお願いしました。

そこで、以前にも同じように詰まった困ったことを初めて思い出しました。確かにあの時に「油は流さないように」とか「洗剤は油と反応するのであまり使わないように」などと注意は受けていたのですが、上手に対応できていたかというと怪しいかぎりです。また定期的に自分たちで掃除をしたりプロのお手入れをお願いしていたわけでもありません。まさに、喉元過ぎれば・・・の典型的な例です。水道屋さんからすると「もう少し普段気をつけてくれたらなぁ、ここまでひどくなる前に掃除に呼んでいただけたら、もっとやりようがあったのに・・・」と思われたかもしれません。


 果たして私たち歯科医療を提供する側から見ても同じような光景が日々繰り広げられます。定期的なお口のケアを提案してもなかなか困ったときしか来院されませんし。現状を把握するための検査を提案しても、その必要性は伝わりません。さらには処置が必要な「むし歯」があることを伝えても、痛みが無いからと治療は先延ばしとなります。


 そのため、いよいよ困ってからしか行動は開始されないことが多いですし、その時は肉体的にも経済的にも負担が多い事となります。
 それでは患者利益がないのでと予防医療を提案してもなかなか受け入れていただけないことは開業以来の悩みです。

その一方、歯を失ってから生活に支障を来して初めて、インプラントをする事は背に腹を変えられないとという思いで高額な提案を受け入れる事となります。これが悪く言えば歯科業界のビジネスモデルです。たまに「お口の中にはベンツ一台が買えるほど治療を注ぎ込んだ」と言うような話を聞くほどです。


 残念ながら歯科医療は、皆さんに歯の大切さを訴えることから医療が始まります。足が悪かったり、目が見えない方の生活の不自由さは端から見てもなんとなく伝わります。しかし、入れ歯の方の生活の不自由さは語られることは少ないような気がします。
もっというと自分が「入れ歯で生活に不自由だ」ということは他人には秘めていることが多く、その困りごとの程度は歯を失ってから初めて自分事となることが多いのです。
 現状の歯科医療の闇も多いのですが、今一度、歯があり食事ができることのありがたみをイメージしていただけると、次の行動が想起されるかもしれません。願わくば、歯科医療を上手に予防のために利用していただけると幸いです。